一人では何もできない。
しかし誰かが始めなければならない。
渡部恒明(わたべつねあき)
◆嘉穂東高校の偉大なる先輩
渡部恒明氏 | 1936年4月4日に福岡県飯塚市川津で6人兄弟の3番目として生まれました。
幸袋中学校を卒業後、家業を手伝いながら嘉穂東高校(定時制)に通い、1957年3月に同校を卒業されました。山登りは17歳から始め、在学中も、香春町の香春岳で岩登りの技術を磨いていたそうです。
渡部氏は、嘉穂東高校(定時制)卒業の際、卒業文集『東光』の中で、上記の「一人では何もできない。しかし誰かが始めなければならない。」という言葉を在校生に贈りました。また在学中に、「やまのあしおと」と題した、雪山を舞台とした短編小説も著わしています。高校生の時から、山に対してとても強い想いを持っておられたことがわかります。
高校卒業後は上京して、トラック運転手として働きながら、休日は日本アルプスを目指しました。
◆マッターホルン北壁を日本人初登頂達成
マッターホルン北壁 |
1965年8月6日、29歳のとき、スイス・アルプス山脈の三大北壁のひとつであるマッターホルン北壁を服部満彦氏と共に日本人初登頂に成功しました。
◆アイガー北壁で、遭難・墜落死
アイガー北壁
現地で岳友が寄贈したパネル(アイガー) |
マッターホルン北壁の登頂成功から、わずか10日後の1965年8月16日、同じく三大北壁のひとつであるアイガー北壁に、日本人初登頂を目指して高田光政氏とともにアタックしました。
しかし、頂上まであと300mというところで、落石に遭い、先頭の渡部氏は岩に体を強く打ち付けて転落しましたが、2人を結ぶロープで辛うじて止まりました。しかし動けなくなったため、高田氏は渡部氏を残し、救助を求めるため、最も安全な山頂経由で下山しましたが、救助隊が到着した時には、渡部氏は謎の墜死を遂げていました。
なお、高田光政氏は、この時にアイガー北壁日本人初登頂を果たしています。
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